「ドラマの魅力・・・」 吉本一謙2007.5.19

僕は今、一週間に何本かのドラマを観ています。
中学生の頃、あるドラマを観ていない次の日に学校で友人達の話についていけない事があったので、試しに観てみると意外におもしろくハマッてしまったという感じです。

コメディー、サスペンス、ラブストーリーなど基本的には何でも観ます。
実際に放送されている時間には、観れない事もあるので、録画をして、オフの日や暇な時間に観ています。

家族でドラマの結末の予想をしたりするのも楽しいです。
ドラマの魅力は、約3ヶ月間続くので、その間長く楽しめるという事と、次回も観たくなるような、ラストシーンにあると思います。

番組の改編期には、ドラマを観続けるか、とりあえず第1話を観てから判断するようにしています。僕にとって、ドラマを観る事は、リラックスにつながり、尚且つリフレッシュするための1つの手段です。

これから、サッカーで頑張っていくためにも、うまくリラックス、そしてリフレッシュしながら成長していきたいと思います。

「これからやりたい事」 小山泰志2007.5.12

僕は、練習以外は基本的に外に出ない。
自分の部屋がとても落ち着くし、体が休められるからだ。
その時のすごし方は、これといって決まっていないがテレビやDVDを
観たりして疲れてきたら「寝る」というのが、とても幸せに感じる。
しかし、これではダメだと最近は本を読むように心がけている。
1度、中学生の時に本にハマった事があったが、すぐにブームは
過ぎていった。
ちなみに初めて読んだ小説は、「世界の中心で愛を叫ぶ」
当時としても流行っていて、さすがの僕でも読みたくなる程だった。
今、読んでいる本は「スラムダンク勝利学」という本で、とても興味深い内容で読みやすい。

本を読むだけでなく、これからやっていきたいと思っていることがある。
それはパソコンだ。今は、全然使いこなせないでいるので、使いこなせるようになりたい。そうすれば、家にいる間、やる事が増えていくと思う。

それと、車の免許を早く取りたい。
そうすれば行動範囲も広がるし、家の中でひきこもっているだけではなくなる。
免許を取ったら「海に行きたい・・・!!」

今年からプロサッカー選手になり、練習の後の時間が高校の時とまったく違いゆっくりと過ごせる。その時間を大切にして有意義な時間の使い方ができれば良いと思う。

「映画に魅せられる時間」 平山相太2007.5.02

僕は、出掛けるのが嫌いだ。人ごみの多い場所は田舎育ちの僕には辛いものがある。
息苦しくて、歩きづらくて、みんな僕より小さいし・・・
そんな僕でも出掛ける時はある。それが映画だ。

初めて観た映画は、ゴジラ対モスラの話である。とにかく映画館での迫力は凄かった。
「ドゥドゥドゥン!ドゥドゥドゥドゥン!!」のBGMは、踊ってしまうくらいに、体の芯まで響く。
それ以来、映画を観に出掛けるのは、苦ではなくなった。
中学、高校とあまり観に行く機会がなかったが、大学に入ってからは頻繁に観に行けるようになり、また映画の虜になった。

映画は、たいてい2時間で話が終るものである。それが僕にとっては合う。ストーリー性が面白くリズミカルでテンポが良いものなんかは、2時間があっという間だ。
それに比べて、ドラマは何話もあり、毎週その時間にテレビの前に腰を下ろしてないといけない。めんどくさがりの僕は、そんな事できない。いつも途中で観れなくなってしまう。それに加え、毎週見続けないと話の内容が分からなくなってしまう。

こういった理由から、映画の2~3時間はあっという間で、話も完結するので、気持ちもスッキリと帰宅できる。だから映画が好きだ。
これからは、もっと色々な映画を観て、今後生きていく上で糧としたい。

「自己紹介」 権田修一2007.4.21

幼稚園の時に、元気すぎて家でうるさかったのを見かねた母が、幼稚園にあったサッカークラブへの入団を勧められたのがサッカーを始めたきっかけです。

小学校に入学してからは、地元の「さぎぬまSC(神奈川県川崎市)」に入り、そこでGKを始めました。
その頃は、とにかくシュートを止める事が快感だったので出来るだけたくさんシュートが飛んできて欲しいと思っていた事を覚えています。

中学に入学と同時に、FC東京U-15(現FC東京U-15深川)に入りました。そこで出会ったのが現FC東京U-15むさしGKコーチの浅野コーチです。
基本的な事も出来ずに負けん気が強いだけだった僕をとにかく熱く指導してくれました。そのお陰で今の自分があると思います。

それからFC東京U-18に進み、高校2年生の10月からはトップチームに帯同する事になりました。
トップチーム帯同後は、1年半ケガが多くて、思うようにプレーできていなかったけれど、帯同した事でプレー以外の多くの事を学ぶ事が出来ました。

これからはまずケガなくチームに貢献しながら代表チームでの活動も大事にして頑張りたいと思います。

「僕とサッカーと僕の生きる道」 阿部 伸行2007.4.12

「そうか!左足で蹴れば上手になれるんだ!!」と真剣に心の中で思ったのは、当時小学校4年生の時でした。
近所に住むお兄ちゃんは、左利きでとてもサッカーが上手でした。そんな彼を見て僕の左利きは始まりました。

小学校、中学校ではサッカーが一番人気のスポーツで友達と毎日、楽しくボールを蹴っていました。
そんな中、転機を迎えたのは中学校3年生の時、部活の先生の紹介でFC東京U-18のセレクションを受けて、合格した事です。

U-18に入ってからは、毎日が驚きと発見の連続でした。みんなサッカーに対して真剣でプレーの事で選手同士がケンカになるくらい意見をぶつけ合っているのを見た時は「仲良しで、楽しいだけじゃダメなんだ!」とサッカーの厳しさを痛感しました。
そして、GKとしてはほとんど素人で練習についていくのがやっとだった僕に当時U-18のGKコーチ浅野さん(現FC東京U-15むさしGKコーチ)は毎日、厳しくて熱く、時々温かい指導でGKの大切さや楽しさを教えてくれて、僕はGKに夢中になりました。

丁度、この頃僕にとってプロサッカー選手は、夢から目標に変わったと思います。
いつかはFC東京の選手になって活躍したいと・・・。

高校卒業時にプロになれなかった僕は、流通経済大学へ進学しました。大学ではリーグ優勝なども経験しましたが、ケガでサッカーができない時期や思うようにプレーできずに悩んだ時期もありました。その喜びや苦しみを味わって、選手としても人間としても
大きく成長できたと確信しています。

今、プロとしてFC東京の選手としてスタートしましたが、僕は本当にまだまだこれからです。
もっと良い選手になれる!まだまだ自分のプレーに納得できない!そんな気持ちが今の僕の最大の課題であり最大の武器でもあります。
日々精進します。FC東京31番、阿部伸行です。応援よろしくお願いします!!

「僕がサッカーにはまった理由」森村 昂太2007.4.02

兄がサッカーを始め、兄の友達と交わってボールを蹴るようになったのが、サッカーを始めたきっかけでした。
小さい頃は、ほとんど毎日近くにあるグランドや公園で自転車や何か目印となるものを見つけ、それをゴールに見立てサッカーをしていました。

中学校に進学する時に、FC東京の下部組織に入れる事となり、とても良い環境でサッカーを続けていける事に、とても感動したのを覚えています。
最初は地元の小さなクラブに入ろうと思っていただけに、FC東京の方から声を掛けてもらった時は、本当にビックリし、今では感謝しています。

そしてU-15に入ってから6年間、色々なコーチ、スタッフにお世話になり、たくさんの仲間とサッカーをする事ができました。
今後も地元のFC東京でサッカーができる事になって、地域の方々にも応援していただける機会も増えると思うので、それに応えられるような
プレーをしたいと思います。

早く試合に出場して、チームの勝利に貢献し、ファンに愛される選手になりたいと思います。これかも熱い応援よろしくお願いします!!

「僕の18年間」 吉本一謙2007.3.22

僕が通っていた幼稚園には、芝生のグランドがあり、そこでサッカースクールが行われていました。
周りの友達やJリーグの影響もあって、サッカーが好きになり、気がついたら芝生の上でボールを蹴っていました。

その頃、従姉の影響で、バイオリン教室へも通っていました。僕は、あまりバイオリンが好きではなかったので練習するのが嫌になって、その結果サッカーも何故か嫌になり、一時的にサッカーをやめてしまった事があります。

両親に言わせると、悩んだ末にバイオリン教室をやめさせたら、元気にサッカーをやり出したそうです。今思うとバイオリンが弾けるサッカー選手は格好良かったと思いますが・・・ちなみに今では、音符もろくに読めません。

小学校4年生の時、JACPA東京FCというクラブチームのセレクションを受けました。
その頃の監督からデカくて速いから合格させたと言われた事を覚えています。
ポジションはフォワードとディフェンダーの両方をやっていました。
初めの頃は試合にもなかなか出られませんでしたが、5年生の頃には、東京都選抜にも選ばれるようになり、FC東京でお世話になっている本吉コーチ(現FC東京U-18コーチ)の指導を受けた事もあります。

中学校へ入学する際に、FC東京U-15のセレクションを受けました。母は、自宅から深川グランドまでの遠さを心配し「中学校のサッカー部で・・・」と勧められましたが、母を説得し、FC東京への加入を決めました。

FC東京に通い始めてからは、サッカーを通して色々な事を学び、仲間とのたくさんの思い出もできました。

これからは、育ててもらったFC東京に恩返しが出来るように、しっかり練習し、試合に出場して勝利に貢献していきたいと思っています。これからも熱いご声援よろしくお願いします!!

「僕とサッカー」 平山相太2007.3.12

それは、小学校2年生の時でした。いつもと変わらずテレビを観ていると、そこには華やかで、輝かしいJリーグの開幕戦が映し出されていました。
一瞬にして僕の心は動かされ、サッカーを始めるきっかけとなりました。

それからの日々は、サッカーが主体となり、毎日のようにボールを追いかけていました。飽きっぽい僕にとって、サッカーだけは一度もつまらないと思った事がなく、楽しくて仕方のないものでした。

高校は長崎県の国見高校を選びました。ここでは、サッカーだけでなく人としての在り方や、大人になっていく上での大事な事を学びました。
体を動かす事が好きで始めたサッカーが僕に色々な事を学ばせ、今の僕を作り上げるものとなりました。

昨年の9月に、FC東京に加入し、また新たな自分の再出発となりました。このクラブで、また一から自分を見つめ直していきたいと思っています。スタッフや選手、関係者の方々も皆とても優しく、すごく感謝しています。
また、ファンの皆さんに励まされる事もよくあり、とても心強いです。だから、これから東京がよくなるように、自分にできる事を精一杯やっていこうと思います。
ファンの声援はすごく後押しとなるので、調子の悪い時は怒ってもらい、良い時は、皆で一緒に喜べたらいいなと思っています。
これからも熱いご声援をよろしくお願いします!!

「覚えてください!FC東京26番、小山泰志です!!」 小山泰志2007.3.01

入団前、FC東京の練習に参加した際のチームの印象は、選手、スタッフの皆がすごく優しくて、おもしろい人達ばかりで1度目に来た時から、このチームに入団できれば良いなと思っていました。

ただ、プロのサッカー選手とプレーをしている実感があまりないまま練習をしていて、後々考えてみるとすごい人達とサッカーをしていたんだと後から実感がわいてきました。

その後、チームから正式なオファーを頂いた時は、本当に嬉しかったです。
知らせを聞いたのが、高校の夏合宿中で、疲れた体も心もスッキリとした感じでした。
両親に連絡をしたら、とても喜んでくれました。サッカーを続けてこられたのも両親が支えてきてくれたからこそなので、親孝行ができるように頑張らなければと思いました。
その時は、まだプロになるという実感はなく、日が経っても、実感がわいてきませんでした。

けれども、新体制発表会の時に、ようやく気持ちが高ぶってきました。
たくさんの報道陣の皆さんが取材に来られ、特にワンチョペ選手が話し出した時のフラッシュの数は数え切れないほどでした。やはり、ワールドクラスの選手の注目度は並ではないと思いました。

今では、プロの生活にも慣れて部屋も居心地が良く、部屋にずっといたいぐらいです。
高校時代の寮生活は、3人部屋で、人に見せられない位に散らかっていたけれど、今住んでいる部屋ではそうならないように、常に部屋をきれいにする努力をしていきたいと思っています。

練習では、最初にカゼやケガでつまづいた部分があり、正直焦っているけれど、ここで焦らずに足の具合を完璧にしてアピールしていきたいと思っています。

これから、プロとしての自覚を持ち、行動や言動に気をつけ、一流のサッカー選手になれるように頑張りたいと思います。
FC東京の26番、小山泰志を応援してください!!

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